どうも、広く浅いオタクの午巳あくたです!
今回は90年代のオーストラリアを舞台にした映画「ニトラム/NITRAM」について語りたいと思います。
実際に起きた凶悪事件をモチーフにした本作のあらすじや感想、ネタバレ解説・考察をご紹介いたしますのでぜひ最後までお付き合いください。
二トラムとは:実際の事件(ポートアーサー事件)をもとにした衝撃作
本作は、1996年に起きたオーストラリアのタスマニア州にある観光都市ポートアーサーで起きた事件をもとに製作されました。
通称「ポート・アーサー事件」で知られるこの一件は、無差別の大量殺人であり、35人の死者に加え23人の負傷者を出し、オーストラリア近代史における最悪の銃乱射事件としてされています。
そしてそんな大事件の犯人であるマーティン・ジョン・ブライアントを主人公として描かれたのが本作「二トラム」なのです。
ニトラムとはマーティン(Martin)を逆から読んだニックネームのこと。彼が幼いころにいじめを受けていたときの別称とされています。
そして本作では、そんな彼が銃撃事件を起こすに至る経緯を中心に描いており、いうなれば前日譚的なお話と言えるでしょう。
主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズは本作で第74回カンヌ国際映画祭で男優賞を受賞したほか、第54回シッチェス・カタロニア国際映画祭で主演男優賞を受賞し、その圧巻の演技力を世間に知らしめました。
また作品自体も2021年度オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞で作品賞・監督賞など8部門を受賞しているなど、本国において非常に高い評価を得ている模様です。
あらすじ:実話の前日譚
幼い頃、花火で遊んでいて負傷してしまい、入院した経験を持つ二トラムことマーティン。
当時の彼の様子は、病院で地元の記者にインタビューされている映像が残っていた。インタビューアは彼にこう尋ねている
「もう花火で遊びませんか?」
それに対して幼い二トラムはこう答えた。
「また遊ぶ」
時は流れ、28歳になった二トラムは職に就くことなく、両親の家で暮らしていた。
子供の時と変わらず、庭で花火に興じ、近隣から苦情の怒声が響いてもかまうことなく、むしろ挑発するかのようにして花火に火をつけていた。
そんな彼はサーフボードを欲しがっているが、母親は金を出すことは無く、二トラムは自分で働いて金を稼ぐしかなくなる。
一軒家を訪問し、芝刈りをして資金を得ようとするも、なかなかうまくいかなかった。
しかしある日のこと、訪ねた家にヘレンという裕福な中年女性がいて、彼女に気に入られた二トラムは芝刈りのほか、ヘレンの愛犬たちの散歩で小遣いを稼げるようになる。
共に過ごすうちに絆を深めていく二人。やがて二トラムはヘレンと一緒に暮らすことにしたのだが……
感想:キャストの演技力に脱帽
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの凄まじさに圧倒され続けた二時間でした。
こんなすごい役者さんを、今まで知らなかった自分がちょっと恥ずかしく思えるくらいです。
本作の主人公である二トラムことマーティン・ジョン・ブライアントは、前述したとおり実在の人物。それもオーストラリア史上稀にみるほどの大犯罪をおかした人間です。
本作では監督独自の解釈で、彼を描いているのですが、そのキャラ造形の複雑さたるや理解するのにも頭をひと捻りする必要があるのに、あまつさえ演じるなんて……俳優という職業としてのクリエイティブにおける、ある種の到達点と言えるんじゃないんでしょうか。
ここでざっと二トラムというキャラを言語化してみましょう。
まず反社会性があります。ただ、狂気と残忍性を帯びたシリアルキラーのような反社会性とは違い、いうなれば「大きな子ども」といったニュアンスでした。知性も弱冠劣っているようです。
厳しくやや支配的な母親への反発心があり、その反動からか母性を感じる相手に異様に懐く習性があります。
父親はわりと甘やかしてくれてるため気に入っていて、彼のため動くこともあります。
ステレオタイプな男性像に憧れを持っていて、そのためサーフィンをしたいと思っているものの、彼本来のパーソナリティーと致命的なほどかけ離れているため、そのギャップに苦しんでいました。
ヘレンに対しては恋愛感情というより、甘やかしてくれる理想の母親像を投影している節があり、おそらく恋愛対象はオーソドックスな美女です。
…って感じです。あくまで僕の解釈ですけど、そんなに離れてないんじゃないかと思います。
そしていま挙げたようなキャラクター像が、説明されるまでもなく伝わるのです。
二トラムがどういう性格で、何が足りなくて、何を求め、なにを不満に思っているのか?
それを演技一つでたったの二時間で表現しきってしまうんですよね。
また、母親役のジュディ・デイヴィスや
父親役のアンソニー・ラパーリアにおいても
「特徴はあるけど普通の両親」というなんとも絶妙な役どころを絶妙な塩梅で演じているところに、いぶし銀を感じましたね。
本作は決して派手なアクションや劇的な展開を魅せるわけでもないのに、それでも目が離せないのは間違いなくキャスト陣の演技力のなせる業でしょう。
解説:ヘレンは実在したのか?父親は?
この章では重大なネタバレを含みます。未視聴の方は飛ばしてください。
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「ニトラム/NITRAM」のは実話をもとにしていると述べましたが、どれくらい忠実なのか気になるところですよね?
というわけで調べてみた結果、かなり事実に沿っていることがわかりました。
これ以降は、映画の主人公を二トラム、実際に事件を起こした人物をマーティンと称して区別させていただきます。
まず二トラムと一緒に暮らし、あまつさえ財産まで相続させたヘレンという女性について。彼女もまた実在していたようです。
宝くじの会社の経営者であり、豪邸にたくさんの犬たちに囲まれて生活していた点も同じですし、マーティンと出会った経緯も、自動車の交通事故で死んだことも、そしてマーティンに財産を相続させた点も同じでした。
そして父親に関するエピソードもかなり事実に即しています。
父親が郊外のゲストハウスを欲しがっていたことも事実で、さらにのちに自殺したことも本当にあったことのようです。
また二トラムがポート・アーサーに向かう前に、そのゲストハウスに立ち寄り現所有者を撃ち殺すシーンがありましたが、これもまた実際の事件と同じでした。
このように大まかなストーリーの流れにおいてはかなり事実ベースで作られた映画のようです。
しかし、ひとつだけ大きく違う点がありました。それに関しては次の章で語っていきます。
テーマの考察:カーゼル監督は何を伝えたかったのか?
この章では重大なネタバレを含みます。未視聴の方は飛ばしてください。
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前章で述べた、事実と大きく違っている点。それは主人公の人間性です。
正確に言うと、違っているというのはあくまでもニュースやWikipediaから受けたマーティン・ブライアントのイメージと、映画の二トラムの印象です。
僕が調べた限りでは、マーティン・ブライアントという人物は、幼少期からかなり凶暴な人物のようでした。
ダイビング中のこどものシュノーケルをひったくったり、隣人の庭の木を切り倒したり、さらに動物虐待や、年下の子へのイジメなど、かなりの問題児だったようです。
また大人になってからも、エアライフルで犬を撃っていたと言われています。
知的障害があり、社会になじめず、イジメられた経験をもつ弱者としての側面はありつつも、自分よりも弱い立場にある存在への攻撃性はあったようです。
しかし映画の二トラムは、そういった凶暴な一面は控えめでしたよね?
たしかに反社会的な一面はありましたが、狂暴というよりは「幼児性」から由来しているような印象が強かったです。
つまり映画の二トラムは大量殺人を犯した怪物としてではなく、社会的な弱者としての一面が際立っているのです。
カーゼル監督はなぜそのような描き方をしたのか?
やろうと思えば生まれついてのモンスターのように描くこともできたはずです。
最初はマーティン・ジョン・ブライアントに同情的だったのかと思ったのですが、たぶん違います。少なくとも僕には、映画を通して彼を可哀そうに見せようという意図は感じませんでした。
そしてエンドクレジットの前に、こんなメッセージがながれました。
1996年4月28日
タスマニアのポート・アーサーにて35人が死亡、23人が負傷
単独の武装犯は35回の終身刑を宣告された
この日の一件を機にオーストラリアの銃規制の見直しが求められ
事件の12日後
全州が銃規制法に合意
64万丁を超す銃器が政府に買い取られ破棄された
しかしこ法律はどの州においても―
完全には順守されていない
現在オーストラリアでは
1996年よりも多くの銃が所持されている
一言一句変えずそのまま引用しました。
どうやら現在のオーストラリアにおける、銃規制の問題について、監督なりの懸念がありそうです。よって劇中で二トラムが銃を買うシーンがありましたが、そこにこの映画の主張があるのだと考察できます。
あのシーンで店の主人が二トラムに免許を持っているか聞いたところ、二トラムは持っていないと答えていました。
二トラムは知能に問題があり、うつ病も患っていたため、銃所持の免許なんておそらく取ろうと思っても無理だったでしょう。
しかし、主人は気にすることなく彼に強力なライフルを売ったのです。二トラムのカバン一杯に詰められた札束を見た後に。
素人目で見ても殺傷能力が高そうなライフルを、まるでゴルフクラブでも売るみたいにあっさりと二トラムに手渡したのでした。
オーストラリアという国において、銃がどういう存在なのかを示唆していましたね。
日本で言うなら昔の飲酒運転に近いのかもしれません。今のように厳しい罰則がなかった時代、多くの人が「ほんとはダメだけど、まあ少しくらいなら」と飲んだあとに平気で運転していた、あの感覚に通ずるものがあります。
しかもエンドクレジットの文言から鑑みて、オーストラリアにはいまだにそういう傾向がありそうですね。
ここにこの映画のテーマを考察するうえでの、肝がありそうです。
つまり監督が主張したいのは「悪の陳腐さ」なのでしょう。
二トラムは、幼児性が抜けきらない大人で、反社会性を持ち合わせていながらも、強者ではありません。あきらかに社会的な弱者です。
子供じみているとはいえ、父親やヘレンに対しての愛情は持ち合わせていて、失ったことによる悲しみも感じていたのです。
また彼の両親も、問題はありそうでしたが、だからといって非常識なほどではなく、完璧ではないだけで概ね良い親だったんです。
つまるところ、二トラム本人も家庭も「普通」という範疇からそこまで逸脱していたわけではなかったというのを、この映画の全体で訴えていたのでしょう。
だからこそ二トラムを怪物としてではなく、多少変わったところはあっても、あくまで人間として描いたのです。
ではなぜ彼はあれほどの凶行に走ったのか?
それはきっかけとツールです。
きっかけはヘレンと父親を失ったこと。これ自体は不幸ではあっても、誰の身にも起こりうること。
しかしそこに、ヘレンの財産の相続と、オーストラリアの銃規制のガバガバ加減が致命的な化学反応を起こしたのです。
二トラムという弱者に「金」と「銃」というツールが渡ってしまったのです。
もちろん銃が無かったら二トラムは大人しくしていたのかという、そうではないかもしれません。なにかしらの形で凶悪な事件を起こした可能性はおおいにあります。
しかし35人が死亡、23人が負傷という大惨事にまで至った理由は、やはり殺傷能力の高い武器を持ったからに他ならないでしょう。
二トラムという映画はマーティンという社会的弱者の凡庸さをあえて主張し、そんな人間でも強力な武器を持てば大惨事を起こしかねないという危険性を訴えているのです。
悪とは生まれながらに備わっている特性ではなく、もっともっと身近で、「陳腐」なモノであるということを、主張したかったのかもしれませんね
まとめ:こんな人におすすめ
本作はこんな人におすすめです。
- 実際の事件を元にしたフィクションが好き
- 役者の演技力が光る映画を観たい
- 議論の余地がありそうなシナリオに惹かれる
主人公の演技力の凄さを体感するだけでも、観る価値のある映画だと思います!