どうも、広く浅いオタクの午巳あくたです。
今回はリュック・ベンソン監督が贈る映画「DOGMAN ドッグマン」について語りたいと思います。
全く新しいタイプのダークヒーローを描いた映画のあらすじと感想。視聴済みの方向けのネタバレ考察を解説いたしますので、ぜひ最後までお付き合いください。
ドッグマンとは:リュック・ベンソン監督による実話から着想を得た映画
「DOGMAN ドッグマン」は、2023年に公開されたフランスのアクション映画。監督はLEONやニキータを生み出したリュック・ベンソンが務めました。
スタイリッシュなアクションシーンに定評があるリュック・ベンソンですが、本作はアクションよりもドッグマンこと主人公のダグラスの半生を中心に描いた、ヒューマニックな映画となっていましたね。
そしてこの映画は、とある実話から着想を得ているそうなんです。
監督が新聞に掲載されていた「5歳の男の子が犬用のゲージに4年間も監禁されていた」という事件を目にし、その後の彼の人生がどうなるんだろうか?というところから着想を得たのが「DOGMAN ドッグマン」という作品とのこと。

あらすじ
とある事件のために検問を張っていた警官は、一台の大きなトラックを止める。
運転席には派手なドレスに身を包んだブロンド女性がいて、警官は身分証と車両登録書を求めるが、女は意味深な言葉を吐くだけでなにも答えない。
不審に思った警官は、トラックの中を見せるよう要求。そして荷台の扉を開けると、そこには大型小型問わず、あらゆる種の犬たちがいた…
数時間後、自宅で寝ていた女性医師のデッカーは電話で呼び出しを受けて拘置所に赴いた。
大量の犬を運んでいた不審人物の精神鑑定をすることになったデッカーは、派手なドレスにブロンドヘア、しかし体中傷だらけでボロボロな人物と対面することに。
一見すると女性に見えていたその人物は、女装した男性だったのだ。
装うことは悪いこと?
自分がまずい状況に置かれたのにも関わらず、タバコを片手に優雅に問いかけるその男、ダグラスに興味を持つデッカー。
彼女の問いかけにより、ダグラスは自身の数奇な人生を語り始めるのだった…

感想:狂気を内包したクレバーな主人公
好みすぎる主人公に開幕すぐに虜になった次第です。
凶器を秘めながらもクレバーに立ち回り、どんな状況でも動じず優雅にタバコを吹かす姿がカッコよすぎました。
キャラ造形もさることながら、この難しそうな役どころを見事に演じきった、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの演技力が圧巻でした。
主人公は脊髄を損傷して歩けない設定なのですが、その動きや痛々しさが本当にリアルで、日々命を削りながら生きているという彼の人生に、説得力を持たせていたのです。
さらにステージでの歌唱シーンは鳥肌モノ。上手いのはもちろんですが、誰が聞いても女性の声にしか聞こえないんですよ。
そしてラストシーンに至る鬼気迫る表情や動きは、名優の風格としか言いようがありませんでしたね。

考察:最後のシーンをキリスト教から紐解く※ネタバレ
※この章では重大なネタバレを含みます。未視聴の方は飛ばしてください
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さてこの映画のラストシーン。象徴的ですごく意味深でしたよね。
自分の足で立って歩いて、拘置所から出ていくダグラスが、十字架の前に立ち、天を仰ぎながら
見て、あなたのために自分の足で立っている…こうして立ってる!
と高らかに叫ぶあのシーンです。そして彼は大勢の犬たちに囲まれながら、十字架の上に倒れたのです。
まるで十字架に磔にされていたように見えませんでした?このシーンの意味するところは、おそらくイエス・キリストでしょう。
十字架に磔にされたイエス・キリストはあらゆる宗教画で描かれたり、アクセサリーのモチーフになったりもしているので、世界中の誰もが目にしたことのある画だと思います。

ところが興味深いのが、彼を悼むように囲んでいたのが犬たちという点。
実はキリスト教において、犬は穢れや敵の象徴なのです。聖書の詩編第22章の16節にこんな一文があります。
まことに、犬はわたしをめぐり、悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。
これはイエス・キリストが磔にされている真っ最中のシーンとされています。
そしてここで出てくる「犬」は、キリスト教を迫害するローマ帝国の兵士たちのこと。
同じ十字架に磔にされ、犬に囲まれるという状況において、イエスは敵に囲まれ迫害を受けているのに対して、ダグラスは友であり我が子でもある存在に囲まれ悼まれているのです。
この対比が非常におもしろいなと感じました。なにか皮肉めいた隠喩が感じられます。
実際のところ、この映画ではイエスとダグラスの対称性が随所で感じられました。
イエスは馬小屋で祝福をもって産まれました。
ダグラスは犬小屋で、憎しみの果てに産まれました。正確には犬小屋で産まれたわけではないのでしょうが、ドッグマンとして目覚めたきっかけは、あきらかにあの犬小屋ですよね。
イエスは神から、つまり父から最も寵愛を受けた存在です。
それに対してダグラスはどうでしょう?
実の父親からの虐待にあい、犬小屋で生活させられ、母親からも捨てられ、壮絶な子供時代を過ごしています。
さらに母親がいなくなったことで、父親の憎しみを一身に受けるようになりました。
ここでも父から最も愛されたイエスと、父から最も憎まれたダグラスという対比ができているのです。
犬たちの助力でなんとか警官に自分の状況を知らせ、家族から解放されますが、銃弾で脊髄をやられ下半身不随となったのです。
せっかく手に入れた自由も、満喫できない体にさせらたのです。
このように神から見放されているとしか思えないくらい、不遇な人生を歩んでいきました。
しかしキリスト教においては、人生の苦難は神からの試練だという考え方もあります。
劇中で彼は、足を失ったときのことを思い返しながら、このように言いました。
神は信じているけど…あのとき思った。神は私を信じてる?
神は自分が正しい道を歩むと信じて、この壮絶な試練を与えたのか?それとも信じているからではなく、自分を見放しただけなのか?
そんなダグラスの疑問に答えられるものはいません。
そしてダグラスは、その後の人生を神に背きながら歩む道を選びました。ここもまた神の教えに従い伝え広めたイエスとの対比があります。
まず女装。キリスト教において、女性が男性の、そして男性が女性の格好をするのは良くないと言われています。
そして盗みと殺し。キリスト教の教えで「汝殺すことなかれ」「汝盗むことなかれ」と明確に禁止されているのです。
最後に犬たち。神の敵を愛し、愛されながら、人生を歩んできたのです。
ダグラスは神を信じていましたが、信じていたからこそあえてその教えに背く生き方を選んでいたというのが僕の解釈。
ダグラスを救っていたのは、常に犬たちだからです。犬小屋から救い出したのも、生活に困窮したときに道を示したのも、そして親の代わりに愛を示してくれたのも犬たちです。
それに対して神は彼から父親の愛を奪い、母親を奪い、そして足まで奪いました。
ダグラスが神を憎んだとしても、そして神の敵を愛し崇拝しても、仕方のないことでしょう。
ところが、物語後半でダグラスが神の救いを見出すくだりがあります。
あのギャングのボスと対峙したシーンです。復讐のためダグラスの住まいに乗り込んできたギャングたちを、彼は犬たちと協力して一網打尽にしました。
しかしボスだけは生き残り、ついにダグラスに銃口を突き付けました。
それでもダグラスはタバコを片手に笑みを浮かべ言うのです。
神が望むのなら
このセリフは神に背き続けた人生を歩んだ、ダグラスの諦めなのかもしれません。
ところがギャングのボスの銃は弾切れを起こしてしまい、犬たちによって返り討ちにされたのです。
運にはとことん恵まれなかったダグラスを、最後の最後で運が助けたのです。
ここでダグラスは神への信仰を取り戻せたんじゃないかと思います。少なくともある程度は。だから捕まったあとのダグラスに、神への憎しみが感じられなかっのです。
そして最後のシーン。
彼は自分の足で立って神の側に歩み寄ります。歩くことは命を縮めるも同然だと、自分で言っていたのにも関わらずです。
そして
見て、あなたのために自分の足で立っている…こうして立ってる!
このセリフは、神が課した試練を乗り越えた姿を見せることで、長年背き続けた神と向き合い、信仰心を示したということ。
つまり彼は幼いころに感じた疑問に、自分で答えを出したのです。
神は自分を信じ、この試練を課したのだと。神は自分を見放したのではなく、愛していたのだと。
だから彼は十字架の上に倒れたのです。もっとも神に愛された存在と同じように…
まとめ:こんな人におすすめ
この映画はこんな人におすすめです。
- ダークヒーローが好き
- イカれジーニアスなタイプのキャラに惹かれる
- リュック・ベンソン監督の作品のファン
個人的には当たりはずれがある印象のリュック・ベンソン監督作品ですが、この映画はかなり当たりだと思います。
ただアクション映画と言いつつもアクションシーンはかなり控えめなので、トランスポーターのような感じを求めて観るとがっかりしちゃうかもしれません。
