どうも、広く浅いオタクの午巳あくたです。
今回は新海誠が監督・執筆を手掛けた「秒速5センチメートル」について語りたいと思います。
映画と小説版があるのですが、この作品においては両方を踏まえたうえでの解説をさせていただきます。
未視聴の方向けにあらすじと感想、そして視聴済みの方向けにネタバレ考察と解説を述べていきますゆえぜひ最後までお付き合いください。
あらすじ
「桜の花びらの落ちるスピードだよ。秒速5センチメートル」
東京の小学校に通う遠野貴樹は同級生の篠原明里からこんな知識を教えてもらった。
お互いに本が好きで、静かな場所が好きで、心のどこかで失うことを予感していて、そんな風によく似た二人はお互いの一部を分け合うようにして、共に過ごしていた。
恋愛と呼ぶにはあまりに幼い感情だったが、間違いなく貴樹は明里に惹かれていて、彼女もまた貴樹に惹かれていて、お互いにそれを承知していた。
そして予感通り、中学に上がる直前に、別れはやってくた。
明里は栃木に引っ越すことになったことを公衆電話から告げられる。
嗚咽しながら「ごめんね」と絞り出す明里に、貴樹は自分の寂しさから伴う痛みを、理不尽にぶつけてしまう。そして気まずい空気のまま、二人は離れ離れになる。
だが中学に入ってしばらくしてから、明里の方から手紙が来る。そして月一回くらいのペースで、手紙のやり取りをするようになる二人。
そして三学期になったころ、今度は貴樹の転校が決まる。場所は九州の鹿児島県に属する孤島だった。東京都と栃木でさえ途方もなく感じた明里との距離がさらに開くことになった。
だから引っ越し前に明里に会いたいと願った貴樹は、学校終わりに栃木を目指して電車に乗り込むのだが…
感想:トラウマレベルの喪失感
まず映画の方を観たんですよ。「君の名は」の監督である新海誠さんの初期のころの作品というところに興味をもって、何の気なしに観てみたんですよ。
そしたら
なんなんだこのガチ文学のような映像作品は…
思春期の男女の青春を描いている点は同じでも、「君の名は」がエンタメ作品として完成されていたのに対し、この映画は抽象的で曖昧な結論を提示し、視聴者が自分の解釈で補完するタイプのハイドラマだったのです。
視聴後の僕に残ったのは、絶望的なほどの「喪失感」、でもその正体がわからない。
なのでどうしても自分の中で納得のいく解釈を見つけるために、普段めったにやらないんですが、小説版を大急ぎで購入して速攻で読破した次第です。
先ほど述べたように、この物語は「喪失感」がとにかくえぐい。僕は大人になってから観たのですが、もし思春期時代に観ていたらトラウマになっていたと思います。
抽象的で意味が分からない部分も多いのですが、触れた人にガッツリと大きな爪痕を残していくタイプの物語というわけです。
そしておそらくですが、いまや国民的なアニメ監督となった新海誠さんのいわゆる「作家性」がいちばん色濃く出ている作品であると思います。
作家が「描きたいもの」を「描きたいように」にして作られたということ。
この物語を深く解するには映像だけでも文章だけでも不十分だと個人的には思います。
よって本作は映画を観てから小説も読んでみること(あるいはその逆)を強く推奨します。
考察:なぜあの結末になったのか?
※ここでは重大なネタバレを含みます。映画未視聴かつ原作未読の方は飛ばしてください
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本作はラストシーンも抽象的で意味深でした。なのでこの章では、明里?と踏切ですれ違ったあのラストに関して、僕の解釈を語っていきます。
まずあの女性が明里だったのか?他人の空似なのか?はてまた幻だったのか?については神のみぞ知るところです。(つまり新海誠のみぞ知る)
なにせ映画でも小説でも明言されていないわけですからね。
ただ彼女の正体についてはそれほど重要じゃありません。重要なのは貴樹が前に進むことを決心したという部分です。
小説の締めの一文をここに掲載しておきます。
この電車が通り過ぎたら前に進もうと、彼は心に決めた
つまり振り返った先に女性がいて、それが仮に明里だったとしても、渡った踏切を立ち戻ることなく前に進むという決意です。
この決意は貴樹という主人公の「解放」を意味します。なにからの解放かというと、それは少年時代に明里に出した手紙に書いてありました。
でも、いつかずっと先にどこかで偶然に明里に出会ったとしても、恥ずかしくないような人間になっていたいと僕は思います
これは幼い貴樹が明里と交わした約束であり
自分への誓いであり
そして呪いでもあるのです。
貴樹が囚われ続けたのは、初恋の人が忘れられないという単純な未練じゃありません。明里への恋心を引きずっていたわけではないのです。
ただ彼女が言った
「貴樹くんは、この先も大丈夫だと思う。ぜったい」
という言葉に彼は囚われ続けたのです。
彼女の言葉を体現したいと願い、手紙で約束し、彼女への恋心を失ってもなぜかその約束だけは心に残り続けました。
よってある意味では「呪い」とも言える想いなのです。
しかし貴樹は大人になり、仕事を辞め、水野との別れを経て、ようやくそれから解放されたのでしょう。
だからすれ違った女性が誰であってもかまわないと、ようやく思えたのです。
「観たけど意味がわからん」人向けに物語を徹底解説
※ここでは重大なネタバレを含みます。映画未視聴かつ原作未読の方は飛ばしてください
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ここからは、物語全体を通して「意味がよくわからなかった」と感じた人に向けて、僕なりの解釈を交えて一から解説していきます。
第一章「桜花抄」
明里と離れ離れになった貴樹は、のちに手紙で交流するようになるも、今度は自分の転校でさらに明里との距離が開きます。
この章の舞台は1994年前後、スマホはおろか携帯すら普及していない時代です。そんな時代に生きる中学生にとって、九州の離島と栃木という距離感がどれほど途方もないものであるか、想像に難くありませんね。
そして貴樹は彼女に会いに行きます。しかし大雪によって電車が遅延しまくるという災難に見舞われます。
なんども停車と発進を繰り返す電車の中で、貴樹は焦れに焦れていました。明里にいる場所に近づく速度が、それこそ秒速5センチメートルに感じるほどに。
ですが途方もない旅路のその果てに、ようやく二人は再会を果たし、桜の花びらのように舞いちる雪の下で初めてのキスをします。
こんなにも美しく叶えられた初恋があるでしょうか?
自分の初恋がこんなだったら一生忘れないでしょう。しかし、この美しすぎる思い出が、生涯色褪せない風景として残り続けることの不幸を、この物語では描いているのです。
とりあえず、この章に関しては以下のポイントを抑えておきましょう。
- 貴樹は途方もない旅路の果てに明里に会えた
- 二人の初恋は完璧とも言える形で叶えられた
第二章「コスモナウト」
この章では花苗という高校生の女の子がヒロインとなります。
彼女が想いを寄せるのは、中学の頃に東京から転校してきた貴樹。
この二人は高校三年生なので、第一章の終わりからおよそ四年経過したくらいですね。
花苗はサーフィンで、ボードの上に立てたら貴樹に告白すると決めていました。なんとも可愛らしい決意です。
そして念願かなってボードの上に立ち、花苗は帰り道で貴樹に告白しようとするのです。
しかしなぜか言えませんでした。ここのシーンは映画だとわかりにくかったかもですね。
貴樹は口調や視線で、花苗の告白を抑止したのです。彼は花苗の気持ちをなんとなくわかっていて、彼女が想いを口にしようとしてることを察し、あえて言いにくいような空気をつくったのでした。
それなのに、あくまでも親切で優しい言葉を紡ぐ貴樹に、花苗は感情が乱されます。告白すら受け止めないほど強く拒絶しているうえで思いやりをみせられれば、恋する少女の胸の内がどれほどの苦悩に満ちるのかは想像に難くありません。
だから
優しくしないで
と切に願ったのでしょう。受けとめる気すら無いなら、これ以上心を惑わせないでというあまりに切ない願いだったのです。
そしてその時ちょうど打ちあがったロケットの行く末を二人で眺めながら、花苗は気づきました。
私たちは同じ空を見ながら、別々のものを見ているということに
さて、このとき貴樹は空の果てに何を見ていたか?
順当に考えるなら、遠い地に生きる明里のことでしょう。そして花苗も、貴樹には遠く離れた場所に好きな人がいることを薄々感づいていたため、その人のことだと思っていたでしょう。
ですが実際には少し違います。
貴樹が遠い空の果てに馳せていたのは、明里自身ではなく自分の気持ち、明里に対する恋心そのものでした。
なぜなら後に発覚するのですが、この時点で明里と貴樹は縁が切れていたからです。
映画ではダイジェストのような形で二人が離れることになった経緯が描かれますが、どちらかが振った・振られたというわけではなく、なにか明確な問題があったわけでもなく、単純に「疎遠になって」縁が切れたのがわかります。
小中学校時代の友人ってたいていはそんな感じになりますよね。貴樹も明里もご多分にもれず、自然とお互いがお互いへの気持ちを失ったのです。
ですが貴樹の立場からすれば、それは「時間」と「距離」という壮大で無慈悲な概念による、残酷な仕打ちなのです。
秒速5センチメートルの旅の果てに再会し、夢の中でさえ見られないような美しい情景の中で、人生で最高の感情体験を得て、貴樹は明里を守れるような人になることを誓いました。
そんなこれ以上ないほど純粋で強い想いすら、いとも簡単に失ってしまったことを、貴樹は嘆いていたのです。
だからこそメールアドレスも知らない明里に宛てたメールを何度も書いてしまったのです。
それは明里への未練ではなく、自分の中にあった想いを取り戻したいがゆえだったのでしょう。
貴樹はロケットが打ちあがった空を見上げ、宇宙という広大な世界を時間と距離という概念に置き換え、その中のどこかで失くした自分の想いを見つけようとしていたのかもしれません。
第三章「秒速5センチメートル」
ここがもっとも謎の多い部分。映画ではかなりあっさりと終わりましたが、小説では詳細に語られています。
貴樹は高校卒業後、大学に入り二人の女性経験を経て、プログラマとして社会に出ることになります。
そして仕事関係で水野理沙という女性と出会い、付き合うことになり、そしておよそ3年間付き合った末に別れることになります。
映画では彼女が貴樹にメールで別れを告げるシーンだけが映され、このような文面だったと思います。
あなたのことは今でも好きです。でも、私たちはきっと1000回もメールして、たぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした
ですがおそらくこのメールは送らず、書き直したメールを送ったと思われます。実際に貴樹のもとに届いたメールは小説版で明かされました。
私たちが人を好きになるやりかたは、お互いにちょっとだけ違うのかもしれません。そのちょっとの違いが、私にはだんだん、すこし、辛いのです
実は似たような理由で、貴樹は過去に付き合った女性と別れています。
そしてこの二つのメールから察するに、貴樹は付き合った女性と心の距離を縮めるのを避けていた傾向にあるようです。
小説内で語られたシチュエーションで、水野と別れる少し前に、貴樹は彼女の家でくつろいでいるさなかに彼女のことを「水野さん」と呼んでいました。
3年付き合った彼女をいまだに苗字呼びだったのです。この件を読んだ時の僕の心境は
そりゃ振られるわ!
です。
なぜ彼はこのような付き合い方をしていたのか?その答えもまた小説の中にありました。
誰かを好きになるとき急にそうなりすぎてしまったような気がする。そしてあっという間に食い尽くし、その人を失ってしまうのだ。
このモノローグからわかるのは、貴樹にとって恋とは消費されるものだということ。
その根底にあるのは、やはり明里の存在でしょう。あの雪の下でのキスで二人の恋はいっきに消費されてしまい、その名残は時間と距離という無機質な概念に連れ去られたのです。
消費されていくなら、せめて少しでも長く形をとどめていて欲しいという想いがあるから、ゆっくりと進めていこうとしてしまうのです。
それこそ、秒速5センチメートルくらいの速度が彼の理想なんでしょう。
ところが、それはあくまでも貴樹の都合。その中に相手の抱く想いや感情は含まれていません。水野のメールを見た貴樹はそのこと気づきます。
そして自分がいかに身勝手だったかを自覚し、貴樹が嗚咽するのがこの物語のクライマックスなのです。
さて、繰り返しになりますがこの物語は、美しすぎる思い出が、生涯色褪せない風景として残り続けることの不幸を描いています。
完璧すぎた感情体験が、初恋の人と過ごした降り積もる雪が桜の花びらのように舞っていた情景の中にあり、その中で得た想いは時間と距離という無機質な概念に連れ去られ、そのトラウマで好きになった相手と健全な距離でいられなくなってしまったのが、貴樹という主人公なのです。
まとめ:こんな人におすすめ
この小説・映画はこんな人におすすめです。
- 新海誠監督の映画が好き
- 文学的な解釈ができる映画に惹かれる
- 忘れられない恋がある
勝手な想像ですが、新海誠というクリエーターの作家としての原典がこの物語にあると思います。有名になってからの彼の作品が好きなら、ぜひこっちの方も観てみていただきたいですね。
ただまあ、好き嫌いがはっきり別れるタイプの作風なので、「絶対に気に入るから」とは言えないんですけど…