どうも、広く浅いオタクの午巳あくたです。
今回はNetflixオリジナルドラマの「私のトナカイちゃん」について語りたいと思います。
アメリカでプライムタイム・エミー賞を11部門でノミネートされ6部門で受賞した話題作を徹底解説いたしますので、ぜひ最後までお付き合いください。
あらすじ:実話をもとにしたサイコスリラー
パブのバーテンダーとして働きながらコメディアンとして売れることを夢見るトニー。
元カノの母親の家に住まわせてもらいながら、意欲的にステージに立ってはいるものの、尖った芸風があまり受け入れられず、低空飛行の日々を送っていた。
そんなある日、パブにマーサという女性がやってくる。カウンターに座り、何も注文せずひたすら泣いているだけの彼女に、同情心を煽られたトニーは彼女にダイエットコークをサービスで出す。
それ以来、マーサは毎日のようにパブにやってきては無料で出されるダイエットコークだけを飲みながらトニーに絡んでくるようになった。
そのあまりのしつこさにだんだんと彼女を不気味に思い始めるトニーだったが、なぜか邪険にできず彼女をコーヒーに誘ったり、自分の出演するステージに呼んだりしてしまう。
当然ながらエスカレートしていくマーサ。やがてトニーは彼女の狂気に吞み込まれていき…
監督の実体験を本人が熱演
「私のトナカイちゃん」は主人公のトニー・ダンを演じたリチャード・ガッドが監督を務めた作品。
そして監督の実体験をもとにしたフィクションなのです。
コメディアンとしてキャリアを積むためにロンドンにやってきたガッドは、パブで働いているときに出会った女性からストーカーされ、その出来事を自分のコメディショーのネタとして取り扱ったとのこと。
そのショー自体も様々な賞を受賞し、ガットのコメディアンとしてのキャリアの大きな礎になったようです。
そしてNetflixでドラマ化した本作も大きな話題を呼び、脚本、プロデュース、演技の三部門でプライムタイムエミー賞を受賞しました。
感想:まったく新しいストーカー事件の描き方
良い意味で「思ってたのと違う!?」と感じた内容でした。
予告で観た印象の通り、ストーカーのマーサはかなりエキセントリックで、狂気に満ちたリアリティのあるストーカーではあります。
しかし、本作はストーカーする側とされる側を、単純な加害者×被害者という構図として描いていないのが大きな特徴。
マーサが危険な存在であることは、かなり早い段階から一目瞭然であるにも関わらず、ドニーは明確な拒絶をみせず、どうも「思わせぶり」な態度をとったりしています。
ストーカーという狂気の象徴のようなキャラクターが画面上で躍動しているのに、マーサよりもむしろドニーという存在を不気味に感じる視聴者も少なからずいるでしょう。
こういうストーカーを題材にしたテーマはどうしても「ストーカーの物語」となることが多く、主人公の存在感は薄まりがちです。
ですがこの「私のトナカイちゃん」というドラマにおいては、紛れもなくドニーの物語であり、マーサの狂気によって変化する彼の精神の様相が色濃く描かれています。
なぜドニーはこんな奇妙な行動をとるのか?そこには彼の過去にまつわるトラウマに伴う歪みが関係しています。
そんな主人公のことが気になり、目が離せない作品でしたね。
最後のシーンを徹底考察:ドニーはその後どうなり、なぜそうなるのか?※ネタバレ注意
※この章では重大なネタバレを含んでいるので、末視聴の方は飛ばしてください
視聴済みなのでクリックして続きを読む
「私のトナカイちゃん」のラストシーン、どのように感じましたか?戦慄した方も多いんじゃないでしょうか?
ハンサムなバーテンから親切心で一杯奢ってもらい、彼をジッと見つめるドニー。物語はそこで終わりますが、明らかに不穏な空気感を醸し、新たな狂気が産声をあげていました。
おそらくはこの後のドニーはかつてのマーサと同じように、バーテンのストーカーになってしまうのでしょう。
なぜそう思うのかについて解説していきたいと思います。
そもそもバーに足を運ぶ前から、ドニーの行動は異常でした。彼はせっかく掴んだチャンスも不意にし、マーサの狂気的な留守番電話の録音を日常的に聞いていたのです。
彼女を危険なストーカーと認識し、散々苦しめられたあとも、なぜかマーサに対しての執着をドニーは抱いていたのです。
彼がどうしてマーサに執着していたのかというと、それは彼自身の歪んだ「承認欲求」によるものだと思われます。
物語の序盤を思い返していただきたいのですが、ドニーは売れないコメディアンで、燻ぶった日々を送っていましたね?
そこに現れたのが、マーサという女性。彼女の異様な行動にドニーは辟易しつつも、昏い歓びを抱えていたのが見てとれました。
なぜならマーサの好意は、「無条件の承認」だったからです。
誰かに承認されたいという欲求は誰もが多かれ少なかれ持つもの。
しかし相手が家族であれ、友達であれ、恋人であれ無条件に承認してもらえることなんて、そうそうあることじゃありません。
人間は自分の欲求を満たしてくれる人を承認するもので、言い方はよくありませんが承認とはギブアンドテイクで得られるのが普通なのです。
コメディアンという仕事を選んでる以上、ドニーが人よりも強い承認欲求を持っていたのは想像に難くありません。でも当初は誰からも承認されていませんでした。
ステージに立てば観客の無関心やブーイングを浴び、職場では上司や同僚から軽く扱われていました。
過去にようやく自分の才能を買ってくれる人と出会えたと思ったら、その人は自分の体が目当てであり、結果としてドニーはレイプ被害者となってしまったのです。
そんななか自分を無条件に承認してくれる女性が現れました。自分が何よりも欲していたものを、これ以上ないほど高い純度で与えてくれたのです。
だからこそマーサを邪険にできず、そしてやがて自分が執着するようになったのでしょう。
ドニーは自分の体験をステージで話すことにより、ネットでバズり大きなチャンスを得ました。夢をつかむ足掛かりを手にしたのです。
しかしドニーはそれを不意にします。自分の意志で手放しました。それはおそらく、彼を満たせるのはもはや、「無条件の承認」だけになっていたからでしょう。
人気コメディアンになればたくさんの承認を得られるでしょうが、それは無条件の承認ではありません。ファンによって求めるものは様々でしょうが、いずれにしても何かを提供しなければすぐに離れてしまうものです。
マーサはドニーが何もせずとも彼を承認しました。物語の後半においては彼を罵るシーンが多くなりましたが、しかしそれもある種の承認ではあったのです。
つまるところ、ドニーは高純度の承認でないと満足できない体になってしまったということ。獲れたてのウニを食べたら、スパーで売ってるウニが食べれなくなったみたいなことです。
しかしマーサがドニーに与えていた承認も、厳密にいえば無条件の承認ではありません。
ドニー視点で無条件に見えていたのは、彼が知らず知らずのうちに彼女の求めるものを与えていたから。それは、皮肉にも「無条件の承認」だったのです。
冒頭でドニーは彼女に無料で飲み物を提供しました。それが彼女が望んでいた「無条件の承認」なのです。
え?それだけのことで?
と思われるでしょうが、マーサの立場を考えると理解できなくもありません。
彼女が周囲から無視され続けた人間であることは、なんとなく察しがつきます。自分が弁護士であるという突飛な嘘をついてまで、人からの承認を求めているのもわかります。ですがそのために自分が努力したり、人に尽くそうという気概は持ち合わせていません。
彼女もまた無条件の承認を求めていたのです。
そんな彼女に飲み物をサービスしたのがドニー。初対面で、なにも注文せず、美人でもない自分を気にかけてくれたのです。彼自身にはなんのメリットもないのにも関わらず。
ドニーからすればただの親切心ですが、親切心とはこの世で唯一の「無条件の承認」と言えます。無視され続けてきた彼女からすれば、もはやヘロインのようなものでしょう。
それを与えてしまったがゆえに、彼女の狂気を呼び起こすことになったのです。そして彼に執着という名の承認を与え続けたのです。
さてそれではラストシーンに話を戻します。
無条件の承認を求め続け、あてもなく彷徨い、彼はバーに辿り着きました。
カウンターで酒を注文しますが、なんと財布を忘れたことに気づきます。しかしバーテンは、親切心でサービスしてくれるのです。
そう……親切心です。
まとめ:こんな人におすすめ
「私のトナカイちゃん」はこんな人におすすめです。
・サイコスリラー的な作品が好き
・承認欲求強めな自覚がある
・人にしてもモノにしても依存しやすい傾向がある
かなり精神的にクるタイプのドラマであり、万人受けするタイプではありません。しかしハマる人はどっぷりハマり、その場合は徹夜確定になること請け合いです。
性描写や下ネタ、あと差別発言が多めなのでその点もご注意ください。