「言の葉の庭」あらすじ徹底解説!名シーンやテーマ、感想・評価まで網羅したガイド

「言の葉の庭」あらすじ徹底解説!名シーンやテーマ、感想・評価まで網羅したガイド 映画

どうも、広く浅いオタクの午巳あくたです。

今回は短編映画の「言の葉の庭」について語りたいと思います。

あの新海誠監督が「君の名は」で名を馳せる前に世に送り出した本作の、あらすじや感想を徹底解説いたしますのでぜひ最後までお付き合いください。

※途中でネタバレを含みますので要注意

言の葉の庭のあらすじを詳しく名をはせる解説!

「言の葉の庭」は、いまや日本有数のアニメ作家である新海誠監督が手がけた短編アニメーション映画で、2013年に公開されました。

新海監督といえば、緻密な描写と詩的な物語が特徴ですが、この映画はそんな彼の作家性が存分に落とし込まれていると思います。

靴職人を夢見る高校生の秋月孝雄は、雨の日だけは午前中だけ学校をサボり、通学途中にある自然公園の東屋に行くことを日課としていた。

いつもは一人だけで、静かな時間を過ごせる場所だったが、ある日やってきたそこには見知らぬ女性がいた。

昼間からチョコレートをつまみにビールを飲んでいたその女性と、当たり障りない会話をする孝雄。そして彼女は立ち上がり

鳴る神の少し響みてさし曇り雨も降らぬか君を留めむ

と万葉集の中の一句を意味深に言い残し、去っていった。その日以降、孝雄はそんな謎の女性と雨の日のたびに公園で顔を合わせ、少しずつ仲良くなっていくのだが…

といった感じの、ボーイミーツレディーの物語です。

物語の舞台は、東京の新宿御苑。タイトルにある「庭」とは、雨で人気のない東屋を現実の喧騒から切り離された東屋を、疑似的なプライベート空間の事を指していると思われます。

そして主人公とヒロインの孤独と心の癒しを象徴する言葉でもあるのでしょう。

言の葉の庭の感想・評価まとめ!視聴者からの反響とネタバレなしのレビュー

ここからは、僕の個人的な感想と他の視聴者の評価のまとめをそれぞれ解説いたします!

感想

一言で申し上げると、この作品は映画の皮を被った「文学」です。

物語はいたって平坦で、劇的な事件が起こるわけではなく、梅雨入り後の雨のようにシトシトと綴られていきます。

しかしこの上なくいろいろなものを語っているのが非常に文学的です。

まずこの作品には説明的な描写がほとんどありません

主人公の家庭環境や、ヒロインの恋愛事情など、視聴者からすれば説明が欲しいところを、詳細には語りません。

しかし映像とシチュエーション、キャラの表情や台詞回しによって絶妙に表現しているため、なんとなく理解できるようになっているのが見事なところです。

平坦な物語のはずなのに、退屈することなく、理解に困ることもなく、スッスッと物語を追えるのはその絶妙な魅せ方によるものなんですよね。

そして意味深なシーンも多く、「これはいったいどういうことなんだろう?」と、視聴者に解釈させる余白があるのもこの作品の特徴です。

視聴の際はひとつひとつのシーンを噛みしめて、観終わった後にじっくりと自分なりの解釈を見つけてみましょう。

SNSの評価

繊細で美麗な映像とシナリオに対して高い評価が集まっています。

聖地巡礼で実際に新宿御苑に足を運んでいる方もたくさんいらっしゃるようでした。

また主題歌である秦基博さんの「言の葉の庭」も非常に人気があります!

言の葉の庭の音楽と声優の魅力!

「言の葉の庭」はストーリーや映像はもちろんですが、音楽や演者さんも非常に高い評価を得ている作品です。以降でひとつひとつご紹介していきます!

劇中のbgm

劇中のbgmは作曲家のKASHIWA Daisuke(カシワダイスケ)さんによって手掛けられています。

ほとんどの曲のタイトルに「Rain」というワードが入っており、曲調もピアノメインのしっとりとしたニュアンスを感じられます。

仮に映画を知らなくても、曲を聴くだけで雨の情景が浮かんでくるでしょう。以降で個人的に好きな3曲を載せておきますので是非聞いてみてください。

主題歌

エンディングに流れる主題歌はシンガーソングライターの秦基博さんによる「言の葉の庭」です。

映画と同名のタイトルなだけあり、曲といい歌詞といいこの物語を歌で語っているといっても過言ではありません。

クライマックス直後に主題歌が流れるのですが、この曲のカットインもクライマックスの一部であると思えました。

映画を観る前にいちど聴いて、観終わったあとにもういちど聴いてみるのがおすすめです。

声優

ここでは主人公とヒロインの二人の声優について語ります。

秋月孝雄 cv入野自由

「千と千尋の神隠し」のハクや「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」の宿海仁太役などでお馴染みの男性声優さんですね。

やっぱり少し大人びた少年をやらせたら右に出るものはいませんね。

決して感情豊かなタイプではない孝雄というキャラクターでしたが、シチュエーションごとの微細な感情の起伏をみごとに表現されていました。

雪野百香里 cv花澤香奈

「PSYCHO-PASS」の常守朱や「鬼滅の刃」の甘露寺蜜璃など代表作を挙げたらキリがない、日本を代表する女性声優さんですね。

どちらかというと可愛い系のキャラを演じている印象でしたが、本作では大人の女性を演じています。雪野のミステリアスで陰のある雰囲気は、やはり声優さんの演技力によるところが大きいと思います。

言の葉の庭の名シーンを深掘り!ラストの意味とは?

※ここからの内容はネタバレを含みます

おそらく映画の中でもっとも意味深なシーンがおそらくラストシーンのクライマックスでしょう。

土砂降りのなか、孝雄を追って雪野が部屋を飛び出し、階段の踊り場でお互いの本音をぶつけ合うシーンですね。

観た人は以下のような点に疑問を感じると思います。

  • なぜ孝雄は急に怒りだしたのか?
  • なぜ雪野は本当の気持ちをさらけ出せたのか?

この二つの要素は二人の感情の動きがやや複雑で、解釈の余白が大きな部分です。

以降で詳しく解説していきましょう。

「大人」に悩む似た者同士な二人

孝雄と雪野は性別も違えば年齢も離れていますが、同じことで悩んでいる二人だと思います。

それは「大人になれない」ことです。

孝雄は自由奔放な母のもと、放置されて生きています。唯一頼りにしている兄も、家を出て恋人と同棲することになりました。

それでも腐ることなく将来の学費もバイトで貯めようとし、靴職人になる夢もただ憧れるだけでなく自分なりに勉強しています。

その口調や立ち振る舞いも非常に大人びていて、サボり癖はあるものの、おおむね模範的な高校生とさえ言えます。

しかしそれは典型的な「早く大人になりすぎてしまった少年」の姿でもあるのです。

周囲の大人に頼れないから、自分が大人になるしかなく。でも、どうあがいても子供でしかない自分に苛立っている少年なのです。

彼がそう言う少年であることは、ちゃんと説明されているわけではありませんが、映像を追っていれば自然とわかるようになっています。

いっぽう雪野の方はというと、年齢でいえば十分大人であり、教師という立派な職業を持っています。

ですが劇中のモノローグでこんな風につぶやくシーンがあります。

「私は15歳のころに比べて、ちっとも賢くなっていない」

そう思ってしまっても仕方のない状況ではありました。

はっきりと明言されていませんが、雪野は同僚の既婚者である男性教師と不倫関係にあったと思われます。

しかし肝心なところで相手の男性は彼女を見放し、それ以降は気持ちだけのケアをしているだけ、そんな虚しい恋愛を経験したばかりです。

そして教師であるのも関わらず、自分の生徒からのイジメにあい、学校に行けなくなってしまっているわけです。

彼女が自己評価で「大人になれていない」と評してしまうのも、仕方のないことでしょう。

つまりこの二人は、お互いに違った方向から「大人」について悩む、似た者同士だったわけですね。

作品における「靴」の意味とは

さてそんな似た者同士な二人を象徴しているアイテムがあります。

それが「靴」です。

孝雄は作中ではモカシンシューズというものを履いています。

↓こんな感じの靴です

高校生が履くにはやや大人っぽすぎるシューズですね。孝雄は自分で作ったモカシンを愛用しているのですが、手作り感があって少しチープな感じがします。

この靴が、大人になろうと背伸びしつつもどこか歪になってしまっている孝雄のキャラクターを象徴しているのです。

そして雪野の方はというと、作中で靴が変化しているのがポイントです。

最初はシックな色味のヒールを履いていて、大人の女性を象徴するようなアイテムです。

途中でカジュアルなサンダルに変わります。より素足に近い靴を履くようになったのですね。

そしてラストシーンでは裸足になります。

この変化は彼女の心模様の移り変わりとリンクしていると僕は考えました

ようやく出会った二人

それではいよいよ二つの疑問について語ります。

まず「なぜ孝雄は急に怒りだしたのか?」についてです。これはひとえに雪野に子ども扱いされたからにほかなりません。

雪野の部屋の中で、孝雄は彼女に告白します。しかし雪野は「ユキノさんじゃなくて、先生でしょ」とはぐらかすように躱します。

孝雄からすれば雪野はだれよりも対等でいたい存在なはず。恋をしている女性なのですから当然です。

だからこそこの言葉は屈辱的で、ショックだったはずです。しかし彼は大人しく部屋を出ます。なぜなら彼は早く大人になろうとしているからです。

でも孝雄の精神は、彼が身に着ける靴のように、大人びていても歪で不完全な形をしている

だからこそ、目の前に現れた雪野を前にして、感情を露にしてしまったのです。その言葉は子供じみていて、理不尽なものでした。しかし少年である孝雄の掛け値なしの本音なのです。

孝雄はここで、大人であろうとすることをやめ、少年である自分をさらけ出せたのです。

そして「なぜ雪野は本当の気持ちをさらけ出せたのか?」について。

雪野はシックなヒールを履き、大人として生きてきて、しかし上手くいきませんでした。

一度つまずいても、まだヒールを履いて、大人であろうとし続けたのです。

ですが孝雄との出会いで、徐々に大人の仮面がはがれていき、カジュアルなサンダルを履くようになります。

しかし孝雄の告白に対して、大人の対応をしてしまったのです。でもそんな自分の見栄が、自分を締め付けているのだと心のどこかで自覚していたのです。ずっと自分に合わない靴を無理やり履いていたのだと気づいていたのです。

そして最後の最後でまた合わない靴を履こうとし、結果として孝雄を傷つけてしまったことに苦悩し、裸足で外に出たのです。

ヒールもサンダルも履かず、裸足で彼と対面することで、ようやく本音を吐き出せたのだと考察できます。

つまりここでいう裸足は、「大人であろうとすることをやめた女性」という象徴です。

大人になり切れないことに悩む二人にとって必要なのは、大人であろうとすることを辞めることだったと、このクライマックスでは語っているんだと思います。

ある意味ではこのシーンで、土砂降りの雨が吹き抜ける階段の踊り場で、二人は初めて出会ったと言えるんじゃないでしょうか。

まとめ:こんな人におすすめ

・忙しいから短時間で見れる映画がいい

・余白のあるストーリーが好き

・大人ってなんだろうって考えることがある

46分と非常に短い映画ではありますが、3時間の大作映画に匹敵するほどの満足感は得られます。

しっとりと優しく、でもちゃんと泣ける映画をお求めでしたら、ぜひご覧になってみてください。

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