どうも、広く浅いオタクの午巳あくたです。
今回は児玉雨子さんの「##NAME## ネイム」について語りたいと思います。
第169回芥川賞候補作にまでなった本作の、あらすじと感想をご紹介いたします。多少ネタバレを含んだ解説もあるので既読の方もぜひお読みいただければと思います。
##NAME##の意味:夢小説から生まれた「名無し」さん
「##NAME## ネイム」っていうタイトル、すごく独特ですよね?正直この物珍しいタイトルに惹かれ購入を決めました。
作中でも語られてますが、予備知識としてざっくりこのタイトルのネタ元を解説しておきましょう。
2000年代初めのころ、インターネットで夢小説というジャンルが台頭しました。既存の漫画やアニメなどのキャラクターを用いた小説、いわゆる二次創作と呼ばれるものの一種です。
二次創作の中でも恋愛や友情など、既存キャラクターとオリジナルキャラクターの関係性を題材にしたものが夢小説と呼ばれます。
そして台頭し始めた当初はインターネット上の個人サイトで連載されることも多く、その中のシステムに##NAME##が関わります。
当時は夢小説では、主人公が既存キャラクターで、そのヒロイン役をオリジナルキャラとして描いているものが数多く存在し、読む前にヒロインの名前を読者が自由に設定できるシステムがあったようです。
例えば鬼滅の刃の富岡義勇の恋愛系夢小説だとしたら、ヒロイン役を「宏美」という名前に設定すれば、作中のヒロインの名前が自動的に宏美となり、義勇と宏美のロマンスが描かれた小説として読めるようになります。
多くの場合、読者は自分の名前を設定し、推しキャラと自分のロマンスを疑似体験していたようです。まさにネット小説ならではの楽しみ方ですね。
そしてシステムの仕様上、名前をなにも入力せずに読み進めると、作中のヒロインの名前が「##NAME##」となっていたとのこと。
つまり##NAME##とは夢小説のなかにおける「名無し」という意味なのです。
あらすじ
2006年7月。中学校入学を控えた雪那(せつな)は、ジュニアアイドルとして事務所に所属し、グラビア撮影などをメインに活動していた。
小学生ながら水着姿になり、たくさんの大人たちに囲まれ、彼女なりに頑張っていたが同年代の子たちと比べても、いまひとつ人気が出ていなかった。
そんな雪那は同じジュニアアイドルとして活動している美沙乃ととりわけ親しくしていた。
そしてある日のこと、美沙乃は雪那のことを「レッスンとかないときは、ゆきって呼ぶね」と言い出した。
そして自分のことも「みさって呼んでほしい」と頼むが、なんとなくしっくりこない雪那は、それ以降も美沙乃ちゃんと呼び続ける。
そして中学に入り、体も心も変化していくなか、雪那の仕事はますます陰りを見せ、さらにジュニアアイドルとしての活動が原因で学生生活も不穏な兆しを見せ始め…
登場人物の紹介:雪那と美沙乃という名前の無い少女
それではこの物語の主軸である二人の少女について少し語りたいと思います。
雪那
ジュニアアイドルとして活動してはいるものの、やや引っ込み思案で控えめな性格と、年の割に成長が早いことが災いし、人気は低迷している。そもそも本人はそこまで活動に熱心ではなく、執心しているのはむしろ母親であり、彼女の期待に応えるために頑張っているような節がある。
中学に入り、とある漫画の夢小説にハマるが、ヒロインの名前を自分の名にする気になれず「##NAME##」のまま読んでいる。
美沙乃
雪那と同じ事務所に所属しているジュニアアイドル。明るく活発で、万人受けする美少女であるため人気もある。雪那よりはジュニアアイドル活動に熱心で、プロ意識も高い。だが不思議と雪那に執着している節がある。
僕はこの二人を鏡合わせの二人だと思っています。
限りなく似かよった境遇の中にいて、同じ痛みを味わい、そして二人とも名前のない、つまりは##NAME##な少女なのです。
雪那の芸名は本名と同じですが、名前の表記を平仮名にして「せつな」と名乗っています。そして本来の自分とは違う人間を装い、活動しているのです。
問題は母親もまた「せつな」としての彼女しか見ようとせず、学校でもジュニアアイドルをやっている子という目でしか見られていない点にあります。
つまり「雪那」というひとりの少女を見てくれる人は、誰もいないということです。
アイドルとしてのせつなはあくまでも虚構。でもそうでない自分を認識する人がいない。他者の認識が無いというのは自分のアイデンティティが存在しないことと同義であり、名前の無い存在、つまりは##NAME##であるに等しいのでした。
そしてもう一人の##NAME##が美沙乃という少女。雪那と違い、明るくて人気もあり、芸能生活もプライベートも充実しているように見えます。
作中では美沙乃の境遇がはっきりと描かれるわけではないのですが、彼女もまた孤独を抱えた少女であることがなんとなくわかります。
だからこそ同じく##NAME##な雪那に惹かれ、ある種の執着めいた感情を抱いたのかもしれません。
そして二人は同じような境遇なのに表面的な部分が全然違います。それこそ鏡と対面しているかのように、正反対なのです。
感想と解説:##NAME##は誰のことなのか?
※この章では若干のネタバレを含みます。あくまで未読の方がより面白くよんでいただくためのガイドとしての解説を心がけていますが、ゼロの状態で楽しみたい方は飛ばしてください
結論からいうと、##NAME##とは「名前のない子供」の象徴です。
詳しく解説するために、まず作中で雪那が読んでいる夢小説に触れたいと思います。
夢小説の元ネタとなる漫画は以下のようなもの↓
『両刃のアレックス』
医師兼死刑執行人として生きていた主人公のアレックスは、ギロチンが開発されたことをきっかけにアデンティティを失った。
浪人生活のなかで、鍛冶屋のヒロインと恋に落ち、自分が処刑した罪人の息子とくらし、ときに斧をもって自らの因縁と戦い、新しい生き方を模索していく…
これが小説の世界で一世を風靡した人気コミックであり、夢小説は主人公のアレックスが処刑人として仕事をし始めた11歳の頃を舞台設定としています。
そんな幼いアレックスに寄り添う存在として描かれるヒロインが「##NAME##」なのです。
最初はこの##NAME##というヒロインに、読者である雪那が自分を投影しているのだと思いました。しかし読み進めていくと美沙乃のようにも見えてきます。
このヒロインは雪那か美沙乃なのかでだいぶ悩みましたが、おそらく雪那でもあり、美沙乃でもあり、また他のジュニアアイドルの子たちでもあるという解釈に至りました。
この##NAME##というキャラは、本来の自分を見出されず、名前のない存在として孤独に生きる子供たちを象徴する存在なのだと、愚考したわけです。
そしてそう思ったら、主人公のアレックスも重要な意味を担っていることがわかりました。
雪那は##NAME##ではなく、主人公のアレックスに自分を投影していると理解できたのです。もっと正確に言うとアレックスは雪那の分身というより、「ゆき」の分身であると思います。
ゆきとは、美沙乃だけが呼ぶ雪那の愛称。雪那という本来の自分でもなければ、せつなというジュニアアイドルでもない、美沙乃と雪那の間にだけ存在する虚構です。
ジュニアアイドルという虚構の世界で生きる二人は、お互いに芸名を名乗って知り合い、虚構の世界の中だけで関係を紡いできましたが、不思議なことに二人でいるときだけは、また違う世界を共有しているような感覚を覚えていました。
つまり雪那と美沙乃の二人の世界は「虚構の中の虚構」という構造をもっていたのです。
そして夢小説もまた、フィクションの物語のさらなるフィクションという虚構の中の虚構です。
そんな世界で生まれた「ゆき」という存在は、構造を同じくする夢小説の世界のアレックスと、面白いくらいリンクしています。
夢小説はアレックスの処刑人という役目に対する苦しみと葛藤をテーマに描かれていきます。
そんなアレックスに出会った夢小説の##NAME##は彼にこう告げます。
「役目なら、いちいちまともに傷ついてどうするの」
これは夢小説のセリフであると同時に、母親やマネージャーから与えられた「せつな」という役目に苦しむ「ゆき」という虚構に、本来の自分の象徴である##NAME##が放つ否定です。
ただの役目に責任を負う必要はなく、誇りも望みも無いのに執着する意味はないと、##NAME##は「ゆき」の葛藤を否定するのです。この否定が彼女にとっての福音となるのでした。
つまり「##NAME##」という小説は、虚構から生まれた別の虚構にアイデンティティを見出す物語。「ゆき」という虚構から、名前を持たない少女が本来の自分を見つけるのです。
ちなみにそんな二人だけの虚構の世界を共有した美沙乃は、雪那に「みさって呼んでほしい」と頼みますが、雪那はそれを拒否しました。
それ以降も、美沙乃は雪那にみさと呼ばれることに執心している描写が見られます。
もしかしたら美沙乃も「みさ」というもう一つの虚構を求めていたのかもしれません。しかし虚構が与えられなかった美沙乃には、それを否定してくれる##NAME##もいません。
これが鏡合わせの二人の決定的な違いなのです。
お読みになる際は、この違いが二人の人生にどう影響していくのかを、注目しながら読んでみてください。
まとめ:こんな人におすすめ
本作はこんな人におすすめです。
・アラサー世代の女性
・子供の時に芸能活動をしていた経験がある
・仕事や学校で課せられる「役目」に疲れを感じる
舞台設定のメインが2006年なので、その当時少女だった方には共感できるかもです。
また生きていれば誰もが課される「役目」というものに対して、新しい知見が得られるかもしれませんよ。