どうも、広く浅いオタクの午巳あくたです。
今回はアメコミ映画屈指の名作「ダークナイト」について語りたいと思います。
歴代最高のヴィランと名高い、ヒース・レジャー演じるジョーカーが活躍する本作のあらすじと感想、視聴済みの方向けの考察と解説をご紹介いたしますので、ぜひ最後までお付き合いください。
あらすじ
ゴッサムシティのとある銀行で、道化師の仮面を被った集団による強盗事件が発生した。
複数名の男たちで強盗を行うが、作業をしながらメンバー間で仲間割れをして殺し合い、強盗を終えるころには、リーダーの男ひとりのみになっていた。
そして去り際にそのリーダーはマスクをとって、銀行の支店長に顔をさらす。
死ぬような目にあったやつは、イカれる
こんな言葉を残し、マスクをとったあともピエロの顔をしてたその男、ジョーカーは銀行を爆破してから去っていく。
いっぽうそのころ、バットマンことブルース・ウェインはゴードン警部補の協力を得ながら、組織犯罪の撲滅に尽力していた。
闇の中で孤独に戦い続けるバットマンだったが、町に蔓延る悪は尽きず、限界を感じていた。
そんななか、バットマンと同じく組織犯罪撲滅を掲げる地方検事、ハービー・デントの存在を知るウエイン。
暴力ではなく法廷という表舞台で法をもって戦う彼こそ、この街に必要な光の騎士であると確信したブルースは、自分の役目をハービーに託し、バットマンを引退することを思案する…
感想
バットマンとジョーカーの対比が、美しいとさえ思えるほど魅力的な造形でした。
この映画における評価は、概ねヒース・レジャー演じるジョーカーというキャラクターの魅力に集中していて、僕自身も映画史上に残る最高のヴィランであると思っています。
ですがそんなジョーカーが輝いたのは、バットマンというヒーローの存在があるからこそです。
ヴィランとヒーローは常に相反するもの。当然ながら、ジョーカーとバットマンも例に漏れず、正反対の二人として描かれています。
しかし本作における「正反対」というのは、単純な正義と悪の対比だけではありません。
バットマンとジョーカーは、どうあがいても相いれない水と油でありながらも、お互いきっても切り離せない実態と影のような関係性でもあるのです。
その対比が従来のヒーロー映画にはない要素であり、かつジョーカーというキャラクターの魅力を際立たせていると、個人的には感じました。
考察:ジョーカーとは何者だったのか?
本作におけるジョーカーは、イカれ野郎でもありながら、謎めいたキャラクターでもあります。
彼は会う人会う人に口が裂けている理由を自分で説明しますが、毎回エピソードが違っていて、意味が分かりません。
いちおうはマフィアから金を貰うという目的はあるものの、どうも金に執着があるようには見えず、バットマンと戦う理由もいまひとつはっきりしません。
おそらくですが、ジョーカーは破壊と混沌を愛する快楽主義者であり、己の快楽を第一とするため根底に信念や目的を持たない「純粋無垢な悪」という造形のキャラクターなのです。
バットマンが戦ってきたマフィアたちの犯罪は、いってしまえばビジネスであり、根底には利益の追求という明確な目的があります。
だからこそバットマンはコネや財力を活かし、先手を打つことも可能だったのです。
しかしジョーカーには目的も信念もないため、行動を予測することもできず、バットマンは常に後手に回ることになります。
ジョーカーというキャラクターはバットマンの天敵といえるのです。
信念や目的、ルールを持って行動するバットマンは、ジョーカー側からすればわかりやすく、行動を予測しやすいのでしょう。
劇中でもジョーカーはバットマンの常に先手をいっている印象がありました。
そして前章で二人は相反する存在であると同時に、実像と影であると述べました。以降でその件についてもう少し深堀したいと思います。
※ここからはネタバレを含むので、未視聴の方は飛ばしてください。
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いちど捕まったジョーカーは、ついにバットマンと対峙します。そのとき彼はこのように述べたのです。
マフィアはお前を殺せば以前に戻ると思ってる。だがもう戻りゃしない。お前が変えたからだ永遠に。
バットマンが現れる前のゴッサムシティは、マフィアが街を支配していました。警察にもマフィアの協力者がいるため機能しているとはいいがたい現状があったのです。
そこにバットマンが現れました。マフィアの暴力も脅しも懐柔すら通用しない、まさにマフィアにとっての天敵です。
バットマンの登場により、マフィアの地位が揺らぎ、組織犯罪に敵対する勢力が強まりました。
ゴードン警部補をはじめとする正しい心を持つ刑事たち、そしてハービーのような正義を志す地方検事などが台頭し始め、バットマンを真似した自警団のような連中まで出てきたのです。
これはバットマンが触発した、ある種のムーブメント。マフィアたちを憎む気持ちを持つ者はずっと前から存在していたでしょうが、燻ぶっていたのは先陣を切るものがいなかったから。
そこで自ら旗をあげて敵陣に切り込んだ象徴的なジェネラルがバットマンなのです。
ジョーカーからすれば、仮にバットマンを殺したところで、彼の信念を継ぐものがすぐに現れ、より大きなムーブメントとなってマフィアたちを切迫するのが目に見えているのでした。
しかし、それは同時にバットマンがもたらした「混沌」でもあります。
マフィアが牛耳っていた街は、倫理的な観点に目をつむれば、ある程度秩序だった統治はされていたのです。
だから犯罪者が蔓延る街においても、ごく普通の人々が暮らし、街としての機能は保っていたのでしょう。
そんな中でバットマンの存在は、静かな水面に投じられた巨石。水底を荒し、汚泥を浮かび上がらせ、波紋とともに澱みが広がったのです。
本作の序盤ではバットマンの姿を真似した自警団のような連中が、マフィアに歯向かっていたシーンがあります。
彼らもかつてマフィアの統治のもと大人しく暮らしていたのでしょう。バットマンに触発され、自らの身を危険にさらすようになったのです。
ゴッサムシティはバットマンの登場により、悪VS正義という対立構造が生まれ、混沌とした様相を示すようになったのでした。
そして、本来なら敵対関係であるマフィア同士が結託する必要性すら生じ、ひいてはジョーカーという狂人に力を与えてしまったのです。
ここで再びジョーカーの劇中のセリフを引用します。
俺は(バットマンを)殺さないさ!お前がいなきゃケチな泥棒に逆戻り。イヤだ。お前が欠けたら生きていけない
このセリフはジョーカーという悪の在り方を示しています。
ジョーカーは快楽主義の狂人で、協調性など皆無です。よって同じ悪でもマフィアのような組織とも、本来は相いれない人物なのです。
だからバットマンが現れる前の彼は、言ってしまえばただの「危ないやつ」で、悪ではあっても巨悪にはなれない存在だったのでしょう。なぜなら巨悪となり街を揺るがすには、それ相応の資金や人脈が必要だからです。
しかし、バットマンの登場により全てが変わりました。
バットマンはマフィアのような組織犯罪の天敵となり、最優先で対処しなければならない脅威となったのです。
だからこそ彼らは結託し、自分たちの天敵にとっての天敵としてジョーカーが見いだしました。
彼の快楽主義にマフィアの人脈と資金が加わり、最悪の化学反応をおこし、巨悪となって街に投下されたのです。
つまりジョーカーは、バットマンがもたらした混沌の中から生まれた巨悪という見方もできるということ。
よってバットマンとジョーカーは実像と影という関係性を持っているのです。
ダークナイトのジョーカーは悪のカリスマとして、映画ファンから絶大な人気を誇るヴィランですが、彼がカリスマたり得たのはバットマンという存在があってこそだと僕は考えています。
意味がわからない人向けのストーリーとテーマの解説
※ここからはネタバレを含むので、未視聴の方は飛ばしてください。
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ダークナイトという映画におけるテーマは「表裏一体」であると思われます。いっけんすると正反対に見えて、実際には密接な関係であることの意。
本作におけるわかりやすい表裏一体は、バットマンとジョーカーです。前章でも述べたように、両者は正反対でありながら実像と影のような関係性がありました。
もうひとつの表裏一体は、ハービー・デント。バットマンの後継者として見いだされた地方検事です。
まずブルース・ウエインはバットマンとして陰で暗躍し、暴力をもってマフィアと戦うことに限界を感じていました。
そんなとき現れたのがハービー・デント。組織犯罪撲滅を掲げる地方検事として脚光を浴び、表舞台でマフィアたちと正々堂々と戦う、まさに光の騎士(ホワイトナイト)と呼ぶに相応しい人物です。
ブルースは彼こそこの街に必要な存在であると確信し、ブルースとして彼を支援し、そしてゆくゆくはバットマンを引退する腹積もりでした。
実はこの時点で、ブルースの弱さが垣間見えてきます。
彼がバットマンを引退しようとしている理由は、限界を感じているからというだけではありません。
自分がバットマンでなくなれば、レイチェルと一緒になれるかもしれないという打算があったのです。
彼はバットマンとしての責務をハービーに預け、あわよくばレイチェルを自分のものにしようとしていたのでした。
ブルースがハービーと対面したシーンを思い出してください。
ガールフレンドと一緒にレストランに来たブルースは、ハービーと一緒にいたレイチェルと遭遇しました。
そして4人で食事しながら、会話している最中、ハービーの信念に感銘を受けたブルースは彼をバットマンの後継とすることを決めたのです。
しかし、その決断の中にレイチェルをハービーに奪われそうになっていることによる焦燥が無かったとも言い切れません。
ブルースは彼のための支援パーティーを開き、そのパーティーの最中にレイチェルに想いの丈を打ち明けたのです、彼の焦りが見て取れたのは、気のせいではないでしょう。
そしてそのパーティーにジョーカーがやってきました。ブルースはバットマンになり、彼と対峙します。
そしてレイチェルを窓から突き落とし、バットマンは彼女を救うために窓から身を投げたのでした。
このときのやりとりで、ジョーカーはバットマンのレイチェルに対する執心を見抜いたのです。
それを利用し、ジョーカーはのちにバットマンにゲームを仕掛けました。爆弾を設置した二つの部屋に、それぞれにハービーとレイチェルを縛り付け、どちらを助けるかバットマンに選択を迫ったのです。
結果として、レイチェルは爆炎に見舞われ、助け出したハービー・デントもトゥーフェイスという復讐の鬼と化してしまったのです。
このときのハービー・デントがまさに、表裏一体の象徴。光の騎士として生きていた彼は、悪に堕ちました。
ハービーは紛れもなくバットマンの後継に相応しい人格を備えていました。しかし、ジョーカーは彼の正義を裏返したのです。それこそ、ハービーが愛用していたコインのように。
つまり正義と悪は相対する概念でありながら、同じコインの裏表でもあり、きっかけひとつで反転することを証明したのです。
そしてさらにもう一人、表裏のコインがひっくり返った人物がいます。それがバットマンです。
バットマンはハービーが現れるまでの正義の象徴。彼の存在があったからこそ、立ち上がった人たちがいたわけです。
つまりこの映画の序盤においては、バットマンは光の騎士(ホワイトナイト)だったのです。
しかし、だからこその弊害がありました。
ジョーカーという存在が現れ、バットマンが正体を明かさなければ市民を殺すとテレビで主張しました。
市民たちはバットマンを責めます。なぜなら彼が正義の象徴だから。正しい行いをするよう主張するのです。
そして市民のバットマンへの信頼が低下するに至ったのです。
そんな市民たちの最後の希望が、もうひとりの光の騎士であるハービー・デント。ですが知っての通り、彼は悪に堕ちます。そしてバットマンとの対決で命を落としました。
彼が復讐鬼となった末に命を落とした事実が広まれば、バットマンが灯した希望は潰え、市民は絶望し、再び悪が蔓延ります。
よってハービーが悪に堕ちた事実を隠し、光の騎士として死んだことにし、バットマンは正義の象徴を殺したという汚名を被ったのです。
こうして彼は「ダークナイト」となりました。自らのコインを反転させることで、悪に反転したハービーを光の騎士に戻したのです。
なんとも報われない結果ですが、しかしこれはブルースの責任でもあります。
彼のレイチェルに対する執着をジョーカーに見抜かれ、利用されたことが発端でこの悲劇が起こったのです。
だれが悪いかといえば、そりゃジョーカーが悪いのですが、バットマンとして生きる以上それは言い訳にはできません。
この映画は、表裏一体の存在同士の密接な関係性を示し、正義と悪がたやすく反転を繰り返していく様を、ヒーロー映画らしい派手なアクションを交えつつ、鮮やかに描いていたのでした。
まとめ:こんな人におすすめ
この映画はこんな人におすすめです。
- 魅力的なヴィランが見たい
- 映画はアクションだけでなく人間ドラマも重視している
- アメコミ映画が好き
いまさら説明不要の超大作ではありますが、どうしても語りたかったので記事にした次第です。
なんとなく観ていない人がいたらぜひぜひ。