どうも、広く浅いオタクの午巳あくたです。
今回は2004年公開の「スパイダーマン2」について語りたいと思います。
一番最初の実写スパイダーマンシリーズであり、世間ではサム・ライミ版と称される本作の魅力を徹底解説いたしますので、ぜひ最後までお付き合いください。
あらすじ
スパイダーマンとして生きることを決意したピーター・パーカーは学業とバイト、そしてヒーロー活動に追われ、疲弊しきっていた。
さらに親友のハリーともギクシャクし、最愛の人であるMJとの距離も広がり、精神的にも追い込まれていたのだった。
そんなある日のこと、大学のレポートのためにオットー・オクタビアス博士のもとを訪ね、核融合プロジェクトのデモンストレーションを見学することになる。
成功すればノーベル賞確実とも言われるほど革新的な実験に立ち会うことになり、胸を躍らすバーカー。オクタビアス博士は人工知能を持った4つ股のアームを装い、核融合実験に臨むのだが…
キャスト
ここで主要キャラの4人をざっとご紹介!
ピーター・パーカー / スパイダーマン(トビー・マグワイア)
主人公であり、名門大学に通う優等生。超人的な力を持ちながら科学の天才でもある。
前作でスパイダーマンとして生きるため、MJと友人でいることを決意し、孤独で多忙なヒーローでありながら名門大学の学生という二重生活を送っている。
メリー・ジェーン・ワトソン(キルスティン・ダンスト)
ピーターの初恋であり、最愛の女性。ブロードウェイの舞台女優として活躍している。
前作でスパイダーマンに助けられて以来心酔しているが、その正体がピーターであることは知らない。そしてピーターへの想いも特別なものになりつつあったが、前作のラストで突き放され、それ以来は距離を置いている。
ハリー・オズボーン(ジェームス・フランコ)
ピーターの親友。父に代わってオズコープ社を率いていて、オクタビアス博士の研究に多額の出資をしている。
前作で父親の遺体の側にスパイダーマンが立っていたところを目撃し、それ以来スパイダーマンを父親の仇とみなし、復讐を目論んでいる。
オットー・オクタビアス / ドクター・オクトパス( アルフレッド・モリーナ)
著名な科学者で、核融合によるエネルギー開発のプロジェクトを仕切っている。
愛妻家であり、社会奉仕の精神も持ち合わせた模範的な科学者であるが、核融合のデモンストレーションに使用した人工知能アームに精神をのっとられ、ドクターオクタビアスという危険思想を持ったヴィランに変貌してしまう。
感想:王道アメリカン・ヒーロー像を体現したスパイダーマン
このスパイダーマン2のスパイダーマンこそ、古き良きアメリカン・ヒーロー像の体現者であると思います。
そもそもヒーローという概念が、日本とアメリカでは大きく違うので、まずはそのあたりから解説しましょう。
昨今ではアベンジャーズのような仲間と共に戦うヒーローたちという在り方が定着していますが、本来のアメリカンヒーローは「孤独な戦士」なのです。
スーパーマン、バットマン、アイアンマンにキャプテンアメリカと、アメコミを代表するようなヒーローは、その世界で唯一無二の超人として生きていました。
スパイダーマン含むこれらのヒーローに共通するのは、「自分だけが特別な力を持っている」という点。
キャプテンアメリカとスパイダーマンは、偶然超人的な身体能力を得た身ですし、アイアンマンとバットマンは世界トップの大富豪という設定です。
経緯や種類に違いはあれど、彼らは特別な存在であり、大きな力を持っているがゆえ孤独な存在でもあるのです。
そしてこれらのヒーロー映画の共通かつ、普遍的なテーマが「大いなる力に伴う、大いなる責任」。そう、スパイダーマン1でベン伯父さんが死に際に放ったあの名台詞です。
実はこの”力に伴う責任”という思想は、映画に限らずアメリカという国に古くから根差すものでもあります。これは端的に言えば「大きな力を持った人間は、社会にそれを還元しなければならない」という価値観。
だからむこうのお金持ち界隈では、寄付やチャリティー文化が発展しているんですよね。
例に挙げたヒーロー映画では、主人公がただ単に悪を倒すだけでなく、事故現場での救助やイベントへの参加など、社会奉仕をしているシーンが多かれ少なかれ描かれています。
明確な巨悪がいて、それを倒すことを第一とする日本のヒーロー像と違い、「社会に奉仕する存在」として描かれるのがアメリカン・ヒーローなのです。
そしてこの「大いなる力にともなう大いなる責任」というテーマと、もっとも真摯に向き合い描かれたヒーロー映画こそスパイダーマン2であると僕は考えています。
そう考える理由として第一に挙げられるのが、この映画におけるピーターの「葛藤」です。
あらすじでも述べたように、ピーターはスパイダーマンと学生の二重生活によって心身ともに疲弊しています。
さらには最愛に人であるMJへの想いも捨てきれず、距離を縮めたいと願っていても、スパイダーマンとしての責任がそれを許さない。
この映画では、そんな環境に苦しみ、大いなる力に伴う大いなる責任に押しつぶされそうになり、葛藤するピーターの姿が色濃く描かれています。いっそ力なんて持たない方が良かったんじゃないかと思えるほどです。
スパイダーマン2を初めて視聴したとき、僕はまだ少年と言ってもいいくらいの年齢でしたが、そんなピーターの姿が新鮮に思えました。
偶然ながら超人的な力を得たヒーローなんて、少年なら誰もが憧れるシチュエーションなはずなのに、その力によって苦しんでいるという状況は、当時の僕にとって斬新だったわけですね。
つまり、アメリカン・ヒーローを描くうえで普遍的なテーマととことん向き合ったヒーローであるからこそ、このスパイダーマンはTHEアメリカン・ヒーローであると僕は思うのです。
「スパイダーマン2」の名シーン
※この章では若干のネタバレを含みます
さてここでは、僕が個人的に選んだスパイダーマン2の名シーンをご紹介します!
約束よりも使命
MJが出演する舞台を観に行くために、夜道で原付を走らせるピーター。しかしそこに無情にもサイレンの音と共に犯罪者が乗った暴走車がやってきます。
最愛の人との約束とヒーローとしての役目の間で揺れ動くピーターでしたが…
ここで犯罪者の暴走車に跳ね飛ばされた一般車両に、歩道にいた人々が下敷きになりそうなシーンに切り替わります。
車に潰されそうになり恐怖に慄く女性の目に、蜘蛛の糸によって空中で絡めとられた車両とスイングで犯人を追いかけるスパイダーマンの姿が映ります。
そのとき命を助けられた女性は「ゴー!スパイディー!ゴー!」と歓喜の激励を贈るのです。
シンプルにカメラワークと演出がカッコいいシーンでもあり、同時に今のピーターの苦悩を象徴するようなシーンでもあります。
結局ピーターは舞台を観ることができず、MJに失望されてしまいました。
ヒーローとして生きる決意
スパイダーマンとして生きることに疲れ、一度は引退したピーターでしたが、もろもろの出来事のおかげで再びスパイダーマンとして生きることを決意しました。
ところがそのタイミングでなんとも皮肉なことに、MJからの誘いがあり、ピーターの気持ちに応えようとしてしまうのです。
カフェの一席で向かい合い、ピーターはまたしてもMJを突き放します。
「大いなる力にともなう大きな責任」という言葉の重みをもっとも実感したシーン。前作のラストでも似たような感じで一度MJを傷つけて、ここにきてまた同じ傷を最も愛する人に与えたわけですからね。
そのさいピーターの放った「僕も心に騙された」というセリフも良きです。
親愛なる隣人
暴走する電車を力づくで止めたスパイダーマンは、力尽きて倒れてしまいます。そんな彼を受け止め、電車内に運んだのがスパイダーマンに命を助けられた乗客たちでした。
マスクも焼けおち、素顔をさらしたスパイダーマンの姿を乗客みんなで見守り、目を覚ました彼に「大丈夫だ」と優しく声をかけたのです。
そしてドクターオクトパスが車内に乱入し、弱り切ったスパイダーマンを引き渡すよう乗客たちに呼びかけます。
すると乗客の一人が「その前に俺が相手だ」と言い放ち、他の乗客たちも「俺も」「私も」スパイダーマンを守るように立ちはだかったのです…
スパイダーマンは自らを「親愛なる隣人」と名乗っていたのですが、正直僕はヒーローの二つ名としてはやや違和感があるなと思っていました。
ですがこのシーンでその意味を理解しました。スパイダーマンは人々を守る存在でありながら、ときに守られる存在でもある、まさに「NY市民すべての親愛なる隣人」だったのです。
「スパイダーマン2」の評価
↑世界的に有名な映画批評サイトのロッテントマトの評価です。批評家(トマト)と一般視聴者(ポップコーン)、いずれも高い水準であることがわかります。
個人的に興味深いのが、一般視聴者よりも批評家の方が高い評価をつけている点ですかね。偏見ですがザ・大衆映画なヒーロー作品はあまり評価されないイメージだったので。
まとめ:こんな人におすすめ
この映画はこんな人におすすめです。
- これ以外のスパイダーマンシリーズは観たことがある
- 孤独なヒーローというワードに惹かれる
- 最近のマーベル映画を追いかけるのに疲れている
最近のマーベル映画と違い、世界どうこうではなくあくまでストリートレベルのスケールなので、映像の絢爛さよりも脚本力が際立った作品です。
もちろん1を先に観た方が絶対に良いので、ぜひ休日にシリーズ一気観するのがお勧め!