どうも、広く浅いオタクの午巳あくたです。
今回はスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」について語りたいと思います。
アメリカ文学史に残る傑作である本書のあらすじやテーマの解説などをしていきますので、ぜひ最後までお付き合いください。
「グレート・ギャツビー」とは? あらすじとテーマを解説
『グレート・ギャツビー』は、1920年代のアメリカ、通称「狂騒の20年代」を舞台にした物語で、アメリカ文学を代表する名作。
この時期は、第一次世界大戦後の経済的繁栄と、アメリカンドリームが多くの人々に希望を与えていた時代でした。フィッツジェラルドはこの背景を使い、アメリカンドリームの栄光と虚構や富と階級の差などを描きました。
終戦後、ニック・キャラウェイはニューヨークの証券会社で働くことになり、郊外の“ウェスト・エッグ”と引っ越してきた。
近所に住む大学時代の友人であるトム・ブキャナンと彼の妻であるデイジーと旧交を温めることになり、上流階級の社交界に足を踏み入れる中、ニックは自分の住む家の隣にある大豪邸の主である「ギャツビー」という男の話を聞く。
毎晩のように絢爛なパーティーを開くギャツビーの事は、誰もが知っていて、同時に誰も彼の正体を知らず、さまざまな噂や憶測が流れていた。
そんな彼に興味を惹かれるニックは、ついにギャツビーのパーティーに参加する機会が訪れるが、アメリカンドリームを絵に描いたようなパーティー会場には数えきれないほどの人々が行き交い、主催者の姿を目にすることさえ難しかった。
酒と絢爛に酔い、やや辟易したニックだったが、そんな彼を「オールド・スポート」と親しげに呼びかける男がいた…
物語はギャツビーの夢とその終焉を中心に進みます。彼はアメリカン・ドリームを体現したような男ですが、実は彼自身の「ドリーム」において、巨万の富を築くことは”ある目的”を達成するための過程でしかありません。
この物語は、ギャツビーが象徴する「夢の追求」と、その夢がいかに儚く脆いものかを描いているのです。
つまり『グレート・ギャツビー』の主なテーマの一つは、「アメリカンドリームの崩壊」です。
ギャツビーは多くの人が夢見る生活を手に入れました。それは一見して永久不滅のものに見えるほど確かなものです。
しかし作品を読み進めていくうちに、ギャツビーという存在が崩壊寸前の砂の城の上に君臨する、虚構の王様かのように見えてきます。
結末に至る前から、なんならかなり早い段階から、ギャツビーの崩壊は目に見えており、読み手は美文で綴られる絢爛な世界を追っているにも関わらず、虚しさを抱えることになります。
登場人物たちの関係と役割:愛と虚構の中で生きる人々
物語の中心にいる登場人物たちは、各々の目的や欲望を抱えており、それが複雑に絡み合っています。ここでは、主要なキャラクターの関係性とその象徴性について見ていきましょう。
ジェイ・ギャツビー
ギャツビーは物語の主軸であり、一代で巨万の富を築き上げたアメリカンドリームの象徴的存在。
彼の全ての行動は、とある目的のためであり、そのために手段を選ばないこともある。
だが彼の追い求めるものが虚構であることは、読み手には簡単に理解できるようになっており、その姿に夢の儚さと幻想の残酷さを目の当たりにすることになる。
ニック・キャラウェイ
物語の語り手であり、観察者的な役割を担っている。
彼自身は上流階級ではないため、ギャツビーを中心とする絢爛豪華な世界を、どこか醒めた目で見つめている節がある。
読み手に近い存在として、ギャツビーの生きざまを観察していて、作中においても存在感はやや薄い。
デイジー・ブキャナン
ニックの従妹であり、美しき人妻。
快楽主義的な行動と言動をしていながらも、現実的な視点も持っていて、同時に夢の世界への執着心も持ち合わせた複雑なキャラクター。
当時のアメリカの上流階級婦人を象徴していると思われる。。
トム・ブキャナン
ニックの大学時代の友人で、デイジーの夫。資産家の生まれで、大学時代はフットボール選手として名を馳せた経歴を持つ
粗野で独善的で、妻子持ちでありながら女遊びも嗜むプレイボーイ。
当時のアメリカ上流階級の白人男性の象徴であると思われる。
読んでみた感想:オールド・スポートとは?
どれほど物質的な豊穣も、幻想に侵されればたやすく砂と化してしまうのだと、実感させられるお話でした。
物語についての詳細は、このさい省きましょう。ぜひ読んで実感していただきたいので。
僕がここで語りたいのは、作中で何度も出てくる「old sport(オールド・スポート)」という言葉。
ギャツビーがニックやトムなど、男性に語りかける際に枕に着ける言葉です。
本作は何度も日本語訳されて出版されており、色々な翻訳者がこの言葉を訳しているのですが、いまひとつ統一されていません。
ある訳者は「友よ」と訳し、別の訳者は「親友」と表し、はてまたこの一文そのものを無視して翻訳した人さえいるようです。
そして僕が読んだ村上春樹さんの翻訳では日本語に直さず「オールド・スポート」と表記していました。その理由は、この単語に相応しいと思える日本語を見つけられず、オールド・スポートという言葉以上の表現が無いとしたからだそうです。
このように、プロの訳者でさえも翻訳に悩むほど、複雑な単語みたいなんです。
複数の翻訳と物語の中でのニュアンスから、以下のようなフレーズなんじゃないかと僕は思いました。
・かなり親しげなニュアンスのある呼びかけ
・やや居丈高で、取り澄ました、外連味のある言葉
ギャツビーは初対面であるにも関わらず、ニックに対してこの親しげな言葉で呼びかけます。アメリカ文化の社交界だからそんなもんだと言われればそうなのですが、それなら「my frend」とか「my brother」とかでいいはずです。
作中でニックがギャツビーのこの言葉に違和感を抱く描写があることから、当時においても一般的な言い回しではなかったことが伺えます。
しかしギャツビーは親しげでありながら、気取った言い回しでもある「オールド・スポート」という表現をあえて用いるのです。
そこに彼の「虚栄」が滲んでおり、そして同時に「孤独」も横たわっていると僕は思えました。
大富豪で毎晩パーティーを開くほどの社交家でありながら、「オールド・スポート」と呼びかけるギャツビーの姿は、声変わりもしていない少年が精いっぱい背伸びして、難しい言葉を使いたがるソレと重なるところがありました。
なにせ彼は名家の生まれというわけではなく、あけすけな表現を用いれば「成金」なわけですから、このような言葉を用いるバックボーンは無いはず。だからどうしても外連味があり、虚栄を感じざる得ないのです。
さらに興味深いことに、ギャツビーは自分自身が快く思っていない相手に対してもこのオールド・スポートという呼びかけをします。
つまり本心から親しみを感じているわけではなく、ただ響きと表面上のニュアンスだけでギャツビーがオールド・スポートと言っているのがわかるのです。
でも同時に、上流階級に染まらず彼の富にも興味を示さず、純粋にギャツビーのパーソナリティーに関心を抱くニックに対し、本心からの親しみを覚えている節もあります。
ニックが現れるまでは、多くの人々が虚栄に彩られた「グレート・ギャツビー」にしか興味がなく、「ギャツビー」という一人の男を見ている人はだれもいませんでした。
そんな周囲の人間たちにも、オールド・スポートと呼びかけ続けるギャツビーに、深い孤独を感じるのです。
ギャツビーのオールド・スポートには、自身の栄華を誇示するような「虚栄」の響きが滲み、親しみを与え近い距離間を求めるニュアンスに彼の「孤独」が潜んでいるような気がしました。
自分で築き上げたものを認めて讃えてもらいたい、でも同時に「そんなのどうでもいいよ」と言いながら側にいてくれる友も欲しい、そんな彼の不器用で子供じみた欲求がこの言葉にあり、同時にギャツビーという存在を表していると、僕には思えたのです。
この単語を調べれば調べるほど、解釈すればするほど、村上春樹さんが「訳せない」と思った気持ちがわかるような気がしました。
グレート・ギャツビーの名言とその意味:心に残る言葉たち
『グレート・ギャツビー』には、多くの印象的な名言があります。これらの言葉は、物語のテーマや登場人物の心情を深く掘り下げる鍵となります。
この世界では、女の子がなれる最高のものは、美しくて少し愚かな子よ
この言葉は、デイジーが自分の娘に対して述べたものです。
当時のアメリカは女性が社会で軽んじられていました。そして男を中心として物質主義に染まるこの時代に対する皮肉を込めて語っています。
彼女自身が感じる虚無感や現実への絶望が反映されているような気がします。
人生というものは詰まるところ、単一の窓から眺めたときの方が、遥かにすっきりして見えるものなのだ
ニックのモノローグの中の一節。
色々な解釈ができそうですが、僕は当事者として最中にいる人間にとって人生はとんでもなく複雑なものに見えるが、それを蚊帳の外からつまり窓の外からフッと目をやる人間には意外と単純に映っているものだ、ということなのかと思います。
実際に作中でニックはギャツビーの人生を窓の外から見ているような語り口調をしていますしね。
不注意な運転をする人が安全なのは、もう一人の不注意なドライバーと出会うまでだって
作中の後半で出てくるフレーズ。多くは語りませんが、この言葉にはいろいろな要素が含まれていることが作品を読んだら理解できるでしょう。
不注意な運転をしている人は、自分が不注意だと自覚していないケースがほとんど。はてさて、僕自身は果たして注意深いドライバーと言えるんでしょうか…
こうして私たちは前進しようとする。しかし、流れに逆らってボートを漕ぐように、絶えず過去に押し戻されるのだ
物語の最後に語られる言葉であり、作中で最も著名なフレーズであると言えるかもしれません。
ギャツビーの人生を象徴として語られるのですが、なんだかほぼすべての人間に当てはまりそうな感じがします。
どうせ押し戻されるのなら、せめて良い思い出の中に漂流したいものです。しかし痛みに満ちた過去を持つ人は、果たしてどのように生きればよいのでしょうね。
まとめ:こんな人におすすめ
本作はこんな人におすすめ。
・昔のアメリカ文化に興味がある
・美しい文体に惹かれる
・お金や宝石などの富の象徴が大好き
1920年代のアメリカの姿を精緻に描いている作品として有名で、海外では教科書にも掲載されるほど文化的価値も高いのがこのグレート・ギャツビーという小説。
僕は村上春樹さんの訳で読みましたが、他の訳者さんのバージョンも読みたいと思っています。それくらい文章が独特で美しいんですよね。